Warning: Error while sending QUERY packet. PID=24322 in /home/uls/public_html/wordpress/wp-includes/class-wpdb.php on line 2349 高尾から藤野 - 街道を歩く旅

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2008.12.13

高尾から藤野・・・(甲州街道)

本日の万歩計32,479(21.1Km)

今日は、おそらく今年最後の街道歩きである。予定では高尾から藤野までの、およそ20Kmを歩く。8時半に高尾駅に到着した。若干遅くなると言っていた先輩の到着を待って見渡せば、陣馬高原の方にでも向かうのか、大勢の登山客の姿を見ることができた。
8時50分には先輩も到着して、今日のコースを考え駅前のコンビニで多少の食料を買い込み出発した。いつの間にか、登山客の姿も疎らになっていた。国道20号線を歩き始めるが、土曜日の朝は、人通りも、車の通行もさほど多くは無い。
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ほどなく、南浅川に架かる両界橋に着く。国道とJR中央線が同時に川を渡っている。川を眺めると、国道も鉄道も無い頃は、なかなかの景観を誇っていたのではと思えるものであった。100mほどで旧道は国道と別れ右に入って行く。車の通りはあるが、静かな街並みである。
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山中にあると勝手に思い込んでいた、小仏関跡が簡単に現れた。戦国時代には富士見関と呼ばれていたという。江戸時代に入り徳川幕府の管轄になり、他の関と同じく「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まった。2つの石が据え付けられているのは、前の方には手形を置き、後の方の石に手をついて通行の許しを乞うたとのこと。しかし、地元の人々は交代で下番として勤めさせられていた関係で比較的簡単に通行できたようである。
関所跡の屋敷跡と思しきところは、広場となっていて「甲州街道駒木野宿」の大きな看板が立っていた。
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道端にはどのような由緒のものか分からないが、お地蔵さんと墓石が屋根の下に納まっており、街道らしい情緒を醸し出していると思っていたら、高速道路の圏央道へのジャンクションが見えてきた。
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高速道路は圏央道へのジャンクションだけでは満足できないと見え、国道20号線へ繋ぐトンネルでも穿つのか、大工事が継続していた。対照的に水行を行う道場である「蛇滝水行道場入口」の道標が立っていた。
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戦国武将の行き交った道も、空を切り裂くように幾何学模様の道路が空を横切る風景は夢想だにされることはなかっただろう。近年の科学文明の凄まじさを見る思いがする。そして、そのジャンクションの下に忽然と現れたのは、豆腐を製造販売する峰尾豆腐店である。摺差(するさし)の豆腐と呼んでいて、寄せ豆腐やおからドーナツが人気で、高尾山ハイキングの帰りにわざわざ寄る人も多いという。
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そして、真新しい本堂の常林寺を過ぎると、浅川国際マス釣り場である。
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マス釣り場を過ぎると、道は尾根を回って中央線の線路から離れるが、回り終えると綺麗なレンガのトンネルを潜る。明治34年の八王子ー上野原の開通に合わせて作られたのであろうが、当時は単線であったが、将来の複線化を考慮して幅を決めて作ったのか、後に幅を拡張した気配もない。トンネルを過ぎると、鉄道の線路と道路の間に水路が設けられていて、途中に堰きとめられて「やまめ」が泳いでいるのが見える場所もある。そして鉄道は小仏峠のトンネルに姿を消す。
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バスの折り返し点に着いた。登りの勾配も徐々にきつくなって来て汗も出るようになり、着込んでいる衣服を脱いで歩行を再開。
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寶珠寺というお寺があり、立派なお寺のようであるが本堂は階段の遥か上の方であるので、入口からのお祈りで済ませて、先に進むことにした。まだ舗装道路が続いているが、九十九折で急な坂道を上って行く。紅葉の時期は過ぎたが、最盛期は美しいことを想像させるもので、まだ余韻も感じられる。
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終に舗装道路も尽きて、砂利を敷いた道となる。少し進むと水場があったので、水筒に水を補給して益々急になる道を進む。
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最後の登りは、流石にキツイ。30分ほどで小仏峠の頂上に着く。旅人の無事を願って建てた小さな地蔵があり、花が添えられている。
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小仏峠の頂上は広場になっていて、かつては茶店もあったが今は閉鎖され、青いシートか被せられて、危険防止のため立ち入りを禁止している。竹で作った幾つかのベンチは置かれているので、コンビにで買ったおにぎりをかじり、しばし休息を取る。影信山から陣馬高原へ向かう登山道、城山から高尾山への道も、ここから通じているので、ハイキングを楽しむ人達も多く行き交う。街道歩きの我々は「小原宿」への道標にしたがって下って行く。
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小仏峠からの下りの道は、落ち葉の積もる道であったが、歩き易い道であった。最も下りだから言えることで、上りとなるとやはりキツイ道であろう。
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舗装道路に出て50mほど進み、Uターンして美女谷の方に進む。美女谷の美女とは、中山道の加納から垂井に出てきた、照手姫のことである。再度記すと、伝説では、武蔵・相模の郡代の娘だった照手姫は、愛する小栗判官を殺されたうえに青墓の長者へ売られてしまう不運な女性である。
高速道路を潜ると、直ぐに相模湖への分岐点となるので、ここで左折する。
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この辺りは谷が深く、綺麗な流れを見ることが出来る、そして、直ぐに再び高速道の下に来る。ここには甲州道中板橋と書かれた木杭が立てられ、旧甲州街道はここから登って高速道路の下を進んで小原宿に出るが、今は通行不可能と書かれていた。
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少し進んでレンガ作りのガードで中央線を潜ると、国道20号線に合流して右折すると、ほどなく常夜燈を模した「小原の郷」の大きな看板が見えてくる。
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小原宿の本陣前に着く。日野本陣、花咲本陣と合わせ甲州街道では3つだけ残る本陣である。最近まで人が住んでいたが、相模市に管理を委託したそうで無料で公開されている。内部を見学させてもらったが、2階は明治に入って養蚕に使われていたとのことであり、古い道具類が展示されていた。
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本陣を後にして500mほど進むと、右に旧道の入口があり中央道の近くまでどんどん国道から離れて行く。眼下にJR中央線がトンネルから出ては直ぐまたトンネルの情景を見ながら進むと、道は左に曲がってトンネルの上で中央線を越すと、直ぐに「えんどう坂」と書かれた標識が立っている。ここで鋭角に曲がってガードレールの切れ目から階段を降りるが、この階段が「えんどう坂」である。道なりに進むと直ぐに国道20号にぶつかり、ここに「甲州街道与瀬宿」の標識があり、右折して進めば直ぐに相模湖駅入口の交差点である。
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お昼時間を大分過ぎていたが、少し先に「見晴らしドライブイン」と言うのがあることが、地図で分かったので、相模湖を眺められる素晴らしいところとの期待を込めて歩いていった。少し進むと、与瀬神社の大きな鳥居と、分断された参道のために高速道路を越す横断歩道への階段が続いているのが見えた。そして、「甲州道中横道」の表示杭が立っていた。
kobotoke_45a.jpg時々相模湖の湖面が見られ期待は高まったが、着いて見てがっかり。室内からは湖面も見えない、いわゆる大衆食堂。お腹も減り諦めて食べることにしたが、味覚的にも何とも冴えない食事であった。食事を終えて国道を少し戻り、旧道への右の入口を上って行く。ここからはアップダウンが多いが、中央道を左に見ながらの、のどかで静かな旧道を進んで行くと、道端に庚申塔や二十三夜の石碑があり、かつての街道を行く人々の姿を髣髴とさせる。

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「横道配水池」への鍵の掛かった門が右に見えてくると、少し先で左折して坂道を下る。直ぐに中央道を歩道橋で渡り、さらに進むと「観福寺」の横を通り、なおも進む。道端に「椚戸(くぐと)」の表示杭があり、またもや石仏が建っていてここが旧街道であることを示している。
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ようやく、国道に出て、右折して進むと左側に「吉野宿ふじや」と書かれた資料館があり、無料で見学できた。この家は江戸時代は「旅籠」を営んでいて屋号が「ふじや」であったが、明治29年の大火で消失したのを期に、養蚕農家として再建した家だとのこと。この地方で見つかった古文書のコピーなどが多く収集されており、2階には古い道具類も収集されて並べられていた。向い側は本陣跡で、ここも残念ながら吉野大火で消失してしまったとのこと。
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沢井川に架かる吉野橋を渡ると、直ぐに右に旧道は別れ、少し進むと藤野中でその校門前には色々な廃材を利用したロボットのモニュメントがあった。
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その後は、JR中央線の線路脇の道を藤野駅に向かって進むと、藤野町が掲げる芸術村構想で、金属造形のアーティストの高橋政行氏作「緑のラブレター」の大きな屋外アートが見えてくる。
藤野駅に着くと4時少し前で、今日はここまでと、3時59分発の電車に乗り帰宅した。

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Posted at 11:23 | Category: 中山道 | 2 Comments